牛久フロイデ混声合唱団掲示板

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スナップ写真を掲載しました - 仁田

2019/12/05 (Thu) 08:46:19

昨日の「クリスマス会」、大変楽しい和やかな会になりました。会の企画・運営を担当して下さったアルトの皆さんには大変お世話になりました。ありがとうございました。
池永会長さんが撮影して下さった写真、私が撮った写真を
とりまぜて「活動・レポ」のページに掲載させていただきました。
素敵な会場のご提供をいただいた遠藤さんとご子息に感謝申し上げます。

「シビックコンサート」反省会 爺河童

2019/11/29 (Fri) 23:47:24

「シビックコンサート」の反省会が昨日、中央生涯学習センターで行われ、「牛久フロイデ混声合唱団」から荻原副会長、「牛久男声合唱団」から爺河童が出席しましたので、議事録として、お伝えします。。

「第43回 牛久市民文化祭」 「シビックコンサート」合唱の部 意見交換会
日時:2019年 11月28日、午前10時-11時
場所:中央生涯学習センター、大講座室にて
1.あいさつ: 文化祭実行委員長    板東與實委員長
2.議  題:シビックコンサート全般
      アンケート結果の確認(合唱の部は下記の通り)
3.その他 :⓵ CD伴奏を採用したい団体・グループは、CD持参の上、CD操作(ON/OFF)も自ら行う条件で許可する。
② 2020年10月18日(日)器楽演奏、10月25日(日)が合唱の予定。
③ 2020年度は、役員改選の年。

「アンケート」結果(事前提出)

「良かった点」
1.ほぼ時間通りの進行であった。合同演奏の(見上げてごらん夜の星を)は、リハーサルに続き、本番演奏も良かった。
2.牛久第一中学校の演奏があったこと。プログラムがスムースに進行し、各団体共に制限時間内に終了できた。プログラムのデザイン変更も良かった。
3.合同演奏曲の四部混声合唱の編曲がよく、指導‣指揮の先生が素晴しかった。次は「まっかな秋」の混声四部合唱に期待したい。
4.実行委員会の皆様に感謝。

「反省点と改善点」
1.PR不足:
①今回も観客数の少なさが目についた。②チラシの枚数は少なくとも一人3枚は欲しい。③チラシの枚数が少ない。もっと早い時期に欲しい。

2.その他
★ 合同演奏曲の歌詞が、プログラムに掲載されておればーーとの声があった。
★ 写真撮影の注意が周知されていなかった。受付に「注意書き」のメモがあ ると良かったが。
★ 出入り15分が守られていない団体があった。
★ 集客のため、嘗てのように「器楽演奏」と「合唱発表」を同じ日に一日で催行する検討はいかがか。各団体の演奏時間を切り詰めるなどして検討しては。
★ 10月の後半という時期には、他の機関、学校などの行事と重複するケースが多く、観客の入りに影響しているものと思われる。(教育委員会、文化協会、

行政の方から、早い時期にPRを始めては如何)
★ 声出しから合同演奏リハーサル、本番開始までの時間が忙しく、皆が同じ時間帯に重なるので昼食の調理室も着替えの楽屋も大混雑した。

「その他」
 ⓵ 半世紀近く継続している「シビックコンサート」の存在は、牛久の誇りであるが、末永く続けて行くためには、全市民の参加が不可欠と思われる。
② 文化ホールのスタッフの方や関係者の皆様に大変お世話になりました。 
以上 

仁田先生編曲の2曲が掲載されました 爺河童

2019/10/25 (Fri) 23:41:52

仁田先生から、つぎのような、台風お見舞いのメールと新曲アップのご案内がかりました。

「台風21号の接近に伴う強い風雨に見舞われた一日でしたが、
台風19号の爪痕が癒えない中にもかかわらず、各地で河川の
氾濫やそれに伴う避難指示・避難勧告が発令され、心配な夜
を迎えることになってしまいました。ご無事を祈るばかりで
す。
ところで、トップページにも書いた通り、「練習曲・レパー
トリー」のページに『さらばジャマイカ』、『鈴懸の径』の
二曲のデータを掲載させていただきましたので、お知らせ
いたします。 」

次回からは、新たに編曲された二つの新曲の練習が始まるものと思いますので、蛇足かと思われますが、新曲2曲の歌が生まれた時代背景などを調べてみました。

□「さらばジャマイカ」作詞 峯 陽 ジャマイカ民謡 
           編曲 仁田悦朗

 ジャマイカ(Jamaica)は、キューバの南に位置するカリブ海の島国。1494年にコロンブスが発見し、17世紀半ばまでスペイン領だったが、イギリス海軍の侵攻後、英領立憲君主制となり英連邦王国の一国をなす。人口は約3百万人弱。陸上短距離走の王国として君臨。近くに、ハイチとドミニカ共和国が存在する。首都はキングストン。
『さらばジャマイカ Jamaica Farewell』は、カリブ海の音楽スタイル「カリプソ calypso」を取り入れたハリー・ベラフォンテの大ヒット曲で、歌詞には、カリブ海の島国ジャマイカをはじめとする西インド諸島の美しい自然と文化が描写され、ジャマイカの首都キングストン(Kingston)で出会った少女への後ろ髪引かれる思いも綴られている。
首都キングストンの東には、コーヒー豆のブランド名で有名なブルーマウンテン(Blue Mountain)山(標高2256m)がそびえ、ここで摂れるコーヒー豆の8割近くは日本へ輸出されるという。また、ココナッツやバナナが生産され、収穫したバナナを船に積み込む際に歌われたとされる労働歌は、ハリー・ベラフォンテの世界的大ヒット曲『バナナ・ボート』にも取り入れられている。
メロディはジャマイカ民謡・カリプソ
作詞は、ハリー・ベラフォンテに数多くの作品を提供し、アメリカへカリプソを広めた立役者のロード・バージェス(1924 or 1926-)。メロディについては、もともと西インド諸島で広く歌われていたいくつかの民謡やフレーズ、他のカリプソをバージェスがまとめて編集したものだという。

□「鈴懸の径」作詞 佐伯孝夫 作曲 灰田有紀彦 
       編曲 仁田悦朗

「鈴懸の径」は、佐伯孝夫の作詞、灰田有紀彦が作曲して、有紀彦の弟、灰田勝彦の歌唱で、1942年(昭和17年)9月に世に出されました。当時、昭和天皇裕仁の名の下、米英に宣戦布告したばかりの無謀な戦争の真っ只中にも拘わらず、戦時色が窺えない曲として、世間一般には好意的に受け止められた模様です。1954年には、鈴木章治がジャズ風にアレンジしてヒットし、1957年1月には、ベニー・グッドマン楽団の首席アルト・サックス奏者ピーナッツ・ハッコーと鈴木章治とが仲良く、TBSホールで収録し放送したことで、この曲は多くのファンを掴んだとされています。ピーナッツ・ハッコーはこの曲名を英名「プラタナス・ロード=:Platanus Road」として、欧米各国での巡演の際、演奏したり、吹き込みを行ったりして宣伝にこれ務め、その時の録音盤が日本にも逆輸入されたことで、この曲はさらに有名になったと伝えられています。
灰田勝彦の母校でもある立教大学のキャンパス内にはこの曲のモデルになった「鈴懸の径」=Platanus Road があり、記念の歌碑が建てられているそうです。

「鈴懸」は「プラタナス」のことどそうです。ところで、外国から日本に持ち込まれ、主に街路樹として日本各地の大通りや並木道に四季折々の彩りを添え、音楽界にもヱキゾッチックな詩情を与えている、「プラタナス」「マロニエ」「アカシア」などについて、WEBと相談しながら調べてみました。

♪プラタナスの枯葉舞う冬の道で♪ 「風」( はしだのりひこ)
プラタナス(学名: Platanus)は、スズカケノキ科スズカケノキ属に属する植物の総称で、街路樹・庭園樹として広く活用されている。大抵30–50 mの高さに育つ。すべてが落葉性であり、殆どが水辺や湿地で見られるが、栽培時には、旱魃にも耐性があることが証明されている。雑種であるモミジバスズカケノキは都市部でも育ちやすとされている。
プラタナスの語源は、ギリシャ語の platys(広い)であり、大きな葉に由来する。また、英語ではplanes、plane treesと呼ばれる。

♪空は暮れて、丘のはてに、マロニエの木陰 ♪「マロニエの木陰」(松島詩子)
セイヨウトチノキ(学名:Aesculus hippocastanum、英: Horse-chestnut)は、大型の落葉樹で、フランス語でマロニエ(仏: marronnier)という。
マロニエ=西洋トチノキー。1576年にウィーンで植樹されたのち、次々とヨーロッパの並木として、また公園樹木としてもてはやされた。現在も街路樹として、また公園やレストランの中庭などで夏の木陰を作り、フランス・パリのシャンゼリゼ通りの街路樹として、世界に知られている。
マロニエ、セイヨウトチノキの花は、ウクライナの首都キエフのシンボルであり、アムステルダムの中央にあるセイヨウトチノキは『アンネの日記』の中でも言及されており、「アンネ・フランクの木」としても有名である。

♪アカシア並木の黄昏は♪  「喫茶店の片隅で」(松島詩子)
♪アカシアの雨がやむとき♪ 「アカシアの雨がやむとき」(西田佐知子)

 アカシア (Acacia) は、マメ科ネムノキ亜科[1]アカシア属の総称。アカシアニロティカ(Acacia nilotica)は、3500年以上前のエジプト王朝時代に薬として使われていた。
アカシア属は約1000種が熱帯から温帯にかけて、特にオーストラリア大陸、アフリカ大陸に多数の種が分布する。その多くは非常に深く主根を伸ばすため、年間を通してほとんど降水が無い砂漠でも自生する。
 日本では、明治時代に輸入されたニセアカシアを当時アカシアと称していたことから現在でも混同される。
インディアンの間では若い男女が愛を告白するのに使ったと言い、花言葉もそれに由来して「秘密の恋」があり、また「優雅」「友情」があるという。



二曲掲載しました - 仁田

2019/10/25 (Fri) 20:12:12

台風21号の接近に伴う強い風雨に見舞われた一日でしたが、
台風19号の爪痕が癒えない中にもかかわらず、各地で河川の
氾濫やそれに伴う避難指示・避難勧告が発令され、心配な夜
を迎えることになってしまいました。ご無事を祈るばかりで
す。
ところで、トップページにも書いた通り、「練習曲・レパー
トリー」のページに『さらばジャマイカ』、『鈴懸の径』の
二曲のデータを掲載させていただきましたので、お知らせ
いたします。

台風19号のお見舞いを申し上げます 爺河童

2019/10/15 (Tue) 11:12:00


「超大型台風19号のお見舞い申し上げます」
台風19号が通過して2日が経過しましたが、新たな被害が、続々と発表されています。
 仁田先生を初め皆様のお宅、御近所、ふるさと、ご親戚には被害は及びませんでしたでしょうか。遅ればせながらお見舞い申し上げます。
 国土交通省は今日、台風19号の暴風・豪雨により、長野県、宮城県、茨城県など7県の47河川が氾濫、66カ所で堤防の決壊を招いたと発表しています。
 新たに決壊が確認されたのは魚野川(新潟県)や里川(茨城県)などに及びますが、全国的に未曾有の被害をもたらした今回の19号の傷跡から一日も早い復旧・復興を祈りたいと思います。
 さて、「シビックコンサート」の本番まであと5日となりました。明日の練習と19日のリハーサルを残すのみですが、本番では、日頃の練習の成果を思う存分、発揮したいものです。

「第43回 シビックコンサート」に寄せてー4 爺河童

2019/09/17 (Tue) 22:10:35

「第43回 シビックコンサート」に寄せてー4

4.「みんなで歌おう」Sing Along
Robert Allen 作詞作曲、奥山 先生 日本語訳、   仁田悦朗 編曲 
   
「偶然は必然であり、必然は偶然である」という言葉があります。私たちの身の回りにも、“なるほど“こんなこともあるもんだと、その事態に遭遇した時、驚くとともに、一人頷くことが時に起こります。例えば、人との出会い、まさかこんなところでの、偶然の出会い・再会などがそうです。           
「みんなで歌おう」は、今度の「シビック」で、私たちが、最後に合唱する曲ですが、プログラム5番目に出場する「牛久男声合唱団」が、最初に歌う曲が「Sing Along」となっています。
「みんなで歌おう」と「Sing Along」は、Robert Allenの作詞作曲、KeyはG Major(ト長調)と、まったく同じ曲なのです。日本語訳と英語詩、混声編曲版と男声編曲版、若干の和音構成、伴奏付演奏とア・カペラ演奏などが違いと言えば違いですが、まさに偶然の一致と言えましょう。

この偶然は、寝ても覚めても合唱、三度の食事よりも合唱、とにかく合唱をこよなく愛する、同世代の仁田先生と新倉先生が、遠い昔、偶然、ブラウン管を通して耳にし感動された「Sing Along」を、いつの日か自分の合唱団で、取り上げてみたいと思われてこられたとしても不思議ではない気がします。              
10月20日、「牛久文化ホール」で、この偶然のなりゆきが、必然性をもって、「Sing Along」の競演のかたちとなって展開されることになります。

「Sing Along with Mitch」
1960年5月24日にNBCテレビ番組「Startime」のワンショットエピソードとして最初に放映された「Sing Along with Mitch」は、1961年(昭和36年)にMitch Millerが主宰するTVプログラムとして毎週、金曜日の晩に放送され、人気番組となって1966年(昭和41年)まで続いたとされています。

重厚な響きを持つ男声合唱団を背に、指揮者ミッチの愛嬌あるひげ面と観客に向っての指揮ぶりに人気が高まり、NHK総合でも1963年(昭和38年)から日曜日の昼過ぎに放送されるようになりました。テーマソングが「みんなで歌おう」でした。

「英語詞」Robert Allen
Let me hear a melody I start to Sing along, Loud and strong, I love to Sing Along-
Get me dear a melody A Simple Sing-in' song, And I Sing Along-
La-dee-da-dee-da, Doo-dee-doo-dee-doo- I hear a tune begin; -
La-dee-da-dee-da, Dum-dee- dum-dee-dum,- And before I know it I join in

「日本語訳」  奥山 先生
歌おうよともに、楽しメロディ―メロディー 世界の歌 
誰でも好きな  歌をみんなで 歌いましょう 歌声は若き日の 夢を招く
喜びの花園は 歌と共に開く
今宵もともに  歌え高く 低く 星を眺め
誰でも好きな  歌をみんなで 歌いましょう 
歌おうよともに 楽しメロディーメロディ 世界の歌
誰でも好きな  歌をみんなで 歌いましょう

「注」奥山先生 としましたのは、名前の漢字、「雲偏に愛」
が見つからなかったためです。


「指揮者」  Mitch William Miller
Mitchell William Miller (July 4, 1911 – July 31, 2010) was an American oboist, conductor, record producer and record industry executive. Miller was one of the most influential people in American popular music during the 1950s and early 1960s, both as the head of A&R at Columbia Records and as a best-selling recording artist with an NBC television series, Sing Along with Mitch.



「第43回 シビックコンサート」に寄せてー3 爺河童

2019/09/15 (Sun) 17:36:07

「第43回 シビックコンサート」に寄せてー3
3.「懐かしき愛の歌」 G. C. Bingham作詞、近藤玲二 日本語訳 James L. Molloy作曲、  仁田悦朗 編曲

作詞者のG. C. Bingham(1859〜1913)はアイルランドの童謡作者。その一方、大人向けのポピュラーソングも作詞、その最大のヒットがやはりこの’Love's Old Sweet Song’と言われています。
作曲者のJ. L. Molloy(1837〜1909)もアイルランド出身で、ダブリンのカトリック系大学を卒業したのち、ロンドン、パリ、ボンで学び、1863年、26歳のときに弁護士資格を得ましたが、弁護士活動は一度もすることなく、ひたすら音楽活動に没頭。当初はオペレッタを、後に、’The Old Cottage Clock’ ’Bantry Bay’’The Kerry Dance’等のポピュラー曲を作曲しましたが、最大のヒット曲は、この’Love's Old Sweet Song’と伝えられています。

G.C.Binghamの詩を日本語に訳した、近藤玲二についての詳しい情報は見当たりませんが、堀内敬三や津川圭一などとは同世代を生き、そして少し後の世代にも活躍した音楽好きの英文学者ではなかったかと思います。近藤玲二による日本語訳としては、 ロッホローモンド、ロンドンデリーの歌、コロラドの月、チリビりビン、禁じられた遊び、などが挙げられます。                       
因みに、堀内敬三が訳した「懐かしき愛の歌」が私がたまたま持っています「愛唱名歌」(株式会社 野ばら社)に掲載されています。同じ英文詩からの日本語訳でも、訳者によっては、これほどの違いがあることが分かります。

堀内敬三の日本語訳
タイトルは 「やさしき愛の歌」 となっています。
1.はるけき往古(いにしえ)の日 宵闇迫りしとき ほのかに耳に入りし そはやさしき愛の歌 妙なるその調べは 深く胸にのこりぬ

「3/4」夕べの歌 夢の声 なやみしげき この世にも しずむ心 なぐさむる
ひびき優しき 愛の歌 やさしき歌

近藤玲二の日本語訳
タイトルは 「懐かしき愛の歌」 です。
1.黄昏のともしびは いとしくも ほのぼのと 薄れゆく思い出に 愛の光をともす あこがれの輝きを 過ぎしあの日のままに 
「3/4」今宵もまた 若き日の 夢を秘めて 黄昏は 
麗しくも 懐かしき 愛の調べとなりて かえりくる

やはり、近藤玲二訳の日本語のほうが、「孤老で迎える人生の黄昏時とは、このよな心境になるのではないだろうか」と共感を覚えます。

原作の英文詩は次のように,描かれています。
原作詩  Love's Old Sweet Song 
Once in the dear dead days beyond recall
When on the world the mists began to fall
Out of the dreams that rose in happy throne
Low to our hearts love sung an old sweet song .
And in the dusk where fell the firelight gleam
Softly it wove itself into our dream
(*Chorus)
Just a song at twilight, when the lights are low
And the flick’ring shadows softly come and go
Though the heart be weary sad the day and long
Still to us at twilight comes love’s old song
Comes love’s own sweet song

G.C.Binghamの詩は、一見簡単な単語やフレーズで紡がれた詩文のようですが、詩文には、省略、倒置法、比喩、暗喩、暗示があり、私たち日本人には分かりづら箇所があって、堀内敬三も近藤玲二も苦労したものと思われます。

ところで、原詩の真意についてはあくまでも、想像するだけですが;
「人生も終わりに近づきつつある孤老の男が、黄昏せまる秋の夕べに、遠く過ぎ去った若き日に、共に過ごした今は亡き恋人との、麗しくも懐かしき日々の想い出にひたる」 或は 「若くして亡くした愛妻との思い出にひたる」 そんなシーンが浮かんできます。

―続くー

訂正版です。 爺河童

2019/09/11 (Wed) 12:32:49

「第43回 牛久市民文化祭」-2の中で、誤りがありましたので、訂正してお詫びいたします。

「誤り」
『雪の降る町を』はDm(短調)からD(長調)ではなく、いきなり,シャープが三つのA(長調)に転調しています。この転調は余り例を見ない転調といえましょう。           『長崎の鐘』はDm(短調)からD(長調)へ、吉永小百合の『寒い朝』もDm->D, 久保田早紀の『異邦人』もDm->D, カンツオーネの『帰れソリエントへ』 も同様の転調です。

「訂正」
『雪の降る町を』はAm(イ短調)から、シャープが 三ツついたA(ィ長調)に転調し、雰囲気と情景をがらりと変えています。
よく見かけるのは、DmからDへの転調ではないでしょうか。  『長崎の鐘』はDm(短調)からD(長調)へ、吉永小百合の『寒い朝』もDm->D, 久保田早紀の『異邦人』もDm->D,     カンツオーネの『帰れソレントへ』も同様の転調となっています。

「第43回 牛久市民文化祭」シビックコンサートによせてー2 爺河童

2019/09/11 (Wed) 00:17:06


2.「雪の降る町を」 内村直也 作詞、中田喜直 作曲、  仁田悦朗 編曲

『雪の降る町を』の制作秘話(インターネット情報のCopy & Paste)

『雪の降る町を』は1951年(昭和26年)、NHKラジオの連続放送劇 『えり子とともに』 の挿入歌として、急遽、創られ放送されたのが、初出とされています。ある時の放送前日のリハーサルで時間が余ることが分かり、その時間を埋めるべく急拵えで制作され放送されたところ、人気が出たため二番、三番が制作され、高英男の歌唱によりレコードも制作されて、ヒットした経緯があるそうです。               1946年から1962年にかけて、“家族みんなで歌えるホームソングをつくる” 番組が制作され放送されていました。NHKの「ラジオ歌謡」でした。この番組でよく流された歌としては、「雪の降る町を」「あざみの歌」「夏の思い出」「白い花の咲く頃」「さくら貝の歌」など。また、1961年(昭和36年)に始まった、 『みんなのうた』 第一回では、立川澄人と東京少年少女合唱隊により 『雪の降る町を』 が歌われ、燎原の火のように全国に広まったと、されています。
  
『えり子とともに』の制作陣:               原作は劇作家の内村直也、音楽担当は芥川也寸志、主演のえり子役には、阿里道子、父親役は山村聡。この放送期間中,えり子役の阿里道子と音楽担当の芥川也寸志氏の間のスキャンダルが発覚し、芥川は番組降板の憂き目に遭い、音楽担当は 中田喜直に変更されました。 
  
『雪の降る町を』の作詞者と作曲者:                                        作詞は『えり子とともに』の劇作家の内村直也(1909年8月15日 - 1989年7月27日)の手によるものです。1932年、慶應義塾大学経済学部卒、岸田國士に師事し、雑誌『劇作』同人となり、1935年に処女作「秋水嶺」を発表、戦後の作品として『雑木林』(1948年)、「遠い凱歌」(1956年)などがあり、NHKの連続ラジオ劇「えり子とともに」(1948年 - 1951年)で広く知られるようになりました。 歌詞の内容は、内村直也の解説や説明が残されていないため、真意、あるいは意図するところというものは、窺い知ることは出来ませんが、歌詞の内容から察するに、“暗くて長い雪国に暮らす人々の上にも、やがて陽光が射す明るい春が必ず訪れる” 。          この詩が、敗戦後間もない時期に創作されたことを思えば、真意は “暗くて長い耐乏生活を強いられた軍国主義時代から敗戦を機に、軍隊を持たず、戦争をしない民主国家誕生へと舵を切った日本の明るい未来の到来を期待しつつ” かも知れません。
1949年)昭和24年)に制作された映画『青い山脈』の挿入歌の歌詞に相通ずるものがあるようです。                              
作曲担当の中田喜直は、1923年(大正12年)、中田家の三番目の子供として東京都渋谷区景丘町23番地に誕生。父の章は自分の跡を継いで音楽家になるのは喜直だと生まれたときから考えていたようです。1950年(昭和25年)中田喜直、27才の頃より、NHKから放送劇等の伴奏音楽の仕事が増え始め、NHK「歌のおばさん」から委嘱を受け関根栄一作詞の「いたずらすずめ」を作曲(昭和26年3月放送)。同じく秋に茶木滋作詞「めだかの学校」を作曲(昭和26年1月放送)。                                   昭和24年にNHKで始まった内村直也作の「えり子とともに」の音楽を芥川也寸志から引き継ぐことになりました。                                中田喜直は、この曲を作るに際して、知人の菅原喜兵衛宅がある山形県鶴岡市で見かけた降雪風景から着想を受け、インスパイヤーされたと伝えられています。 現在も鶴岡市では、毎年2月に、『雪の降る町を』 に因んだ 『鶴岡音樂祭』 が開かれ、鶴岡で育った若手アーティスト、地元の合唱団、そして会場に集まった聴衆全員がこの曲を合唱するフィナーレは、壮観、圧巻と言われています。 2月と言えば最も寒い時期ですが、雪の降る町、鶴岡市に一度、足を運んでみたいものです。                            ちなみに、「日本の歌100選」(実際は101曲)の中には、中田喜直作曲の、「おかあさん」「夏の想い出」「ちいさい秋みつけた」「めだかの学校」の4曲が選ばれ、彼の父、中田章作曲の「早春賦」も選ばれてはいますが、『雪の降る町を』の名は何故か見当たりません。
  
『雪の降る町を』 の曲調  
転調による曲調の転換 ドラマティックな展開       

転調(Modulation)と移調(Transposition)の区別がよく分かりませんが、専門書によると、転調は楽曲の途中で他の調に変えることであり、移調は曲全体の調を丸ごと変えることと言われています。                     ギターやウクレレの演奏で、自分の、あるいは、歌い手のKEYに合わせるために使う、弦楽器演奏用補助具として、「カポタスト」(Capotasto)と呼ぶ器具がありますが、これこそ、ギター演奏移調用の至便器具と言えるかも知れませんが、合唱において、移調や転調への対応は、常日頃からの読譜、音源視聴、そして繰り返し、繰り返しの練習にあるものと思います。                            『雪の降る町を』 が、これほど長い間、親しまれ、歌い継がれて来ている理由の一つは、この曲調が日本人の心の琴線に触れ、共感を呼ぶ何かがあるのではと思います。その何かは、内村直也の、春を待つ忍耐強い日本人の感情を表したな詩にもありますが、中田喜直の作曲の手法の一つ、転調にもあるように思います。

『雪の降る町を』はDm(短調)からD(長調)ではなく、いきなり,シャープが三つのA(長調)に転調しています。この転調は余り例を見ない転調といえましょう。           『長崎の鐘』はDm(短調)からD(長調)へ、吉永小百合の『寒い朝』もDm->D, 久保田早紀の『異邦人』もDm->D, カンツオーネの『帰れソリエントへ』 も同様の転調です。     また、中田喜直は、付点8分音符、8分音符の三連音符を多用し,前半の寒くて長い雪国の冬を思い起こさせる、「イ短調」のメロディラインが一転、春の到来を暗示する♯3つがついたA「イ長調」に転調し、期待感をもたせつつ、躍動感のうちに最終章に移り、最後は、「イ長調」の主和音、「A」 Major、「 ド、ミ,ソ、ド」の四声でピークに至り、フィナーレを迎えます。ソプラノさんの「ほほえ み:ファファファソ」 、アルトさんの「ドドドミ」テナーさんの「ラララド」バスの「ファファファド」 には,細心の注意を払いましょう。                                  混声合唱への編曲は、勿論、現在の 『牛久フロイデ混声合唱団』 の力量?を考えられ,さらなる向上、高みを願われて、仁田先生が編曲されたものですが、この『雪の降る町を』も、世界には一つしかない『フロイデ』用の編曲です。練習の度に出される、指摘事項、注意事項を想起し、一致協力を図りながら、自信をもって楽しい合唱造りに励みたいと思います。

―続くー

「第43回 牛久市民文化祭」 シビック コンサート によせて-1 爺河童

2019/09/03 (Tue) 22:37:11


「第43回 牛久市民文化祭」 シビックコンサート によせて-1
今年のシビックコンサートの全体合唱曲「見上げてごらん夜の星を」の合唱音源を、他団体に先んじて、早速、「レパートリー・練習曲」に掲載して頂きありがとうございます。仁田先生に感謝、感謝です。

今年の「シビック コンサート 合唱の部」は、令和元年10月20日(日)午後1時から、牛久市文化ホールで行われることになり、当日までの練習スケジュールや当日の出演概要は、先週の連絡会議で配布された資料に基づいた池永会長初め役員の皆さんから、詳しく説明された通りです。                                 
「牛久フロイデ混声合唱団」の当日の出演順序は、プログラム2番、13:25頃、「牛久男声合唱団」は、プログラム5番、14:10分頃、「混声合唱団ハル」は、プログラム7番、14:40分頃となっています。複数団体に所属している方の休息、衣装替えの時間は一応、確保されています。
「牛久フロイデ合唱団」の演奏曲は「追憶」「雪の降る街を」「懐かしき愛の歌」「みんなで歌おう」の4曲で、今回も4曲すべて、暗譜で臨むことになりました。
全体合唱曲の「見上げてご覧夜の星を」も、暗譜で行きましょう。
暗譜の良さ、素晴しさは、既に頂いた、視聴者の皆さんからのご意見や仁田先生から頂いた講評の通りですが、歌詞の暗譜だけに終わらず、自己のパートの音程、音質の統一を初め、発音、発声、音符の長短、スウィング、テヌート、シンコペーション、メロデイラインの聴き分け、他のパートとの調和、ハーモニー造り、縦の線の調合、曲調、強弱、クレッシェンド、デクレッシェンド、リタルランドなどの指示記号をも含めて、覚え込みましょう。後は、にこやかで堂々とした仁田先生の指揮に従うだけではないでしょうか。

1.「追憶」古関吉雄 作詞、スペイン民謡、仁田悦朗先生       編曲

「追憶」は、アメリカで賛美歌として歌われていた ( Flee as a bird to your mountain )に、明治大学の教授であった、古関吉雄が「星影やさしくーー」の日本語訳をつけ、1939年に唱歌として発表し、今日に至るとされています。米国の詩人メアリ・S・B・シンドラーが、スペインの旋律をもとに、旧約聖書の詩篇(第11篇)に基づいて作詞した賛美歌と、言われており、「小鳥のように向こうの山に飛んでゆけ」を意味する冒頭の1行が主題だそうです。Flee=Flyの文語形。

「追憶」の楽譜は“スペイン民謡”とうたいながら、スペイン語の歌詞が見当たらず、不思議に思っていましたが、合点がゆきました。いつかの「ひととき」の欄に、息子を亡くした年老いた母親の寄稿が載せられていました。“ 生前、音楽が好きだった息子がよく歌っていた「追憶」の英語詩を見つけて、息子に再会したような感慨を持った”―このような趣旨だったと思いますが、母親の息子を思う心情が読み取れて、心が温かくなった覚えがあります。恐らくこの母親が見つけた英語詩は次のような詩ではなかったでしょうか。
Flee as a bird to your mountain
Flee as a bird to your mountain, Thou who art weary of sin; Go to the clear flowing fountain,
Where you may wash and be clean. Fly, for th'avenger is near thee, Call, and the Savior will hear thee; He on His bosom will bear thee, O thou who art weary of sin,

メアリ・S・B・シンドラーは教会のために数多くの讃美歌・聖歌を残していますが、彼女の歌集には、「Adapted to the Most Popular Melodies 」(曲は最も人気のあるメロディを適用した) と注記があり、これは当時広く知られていたメロディに歌詞をつけたことを意味します。1841年発行の彼女の歌集「The Northern Harp」(北の竪琴) に収録された「Flee as a bird to your mountain 」には、「Spanish Melody」(スペインのメロディ)との注釈がつけられており、この曲はスペイン民謡などの音楽からメロディを拝借したことが記されています。
ところで、私たちは、聖歌と讃美歌を混同して使っているようですが、キリスト教派やグループによって日本語の呼称に違いがあるようです。プロテスタント諸派でもグループ間でそれぞれの立場があり、一概には区別はつけられないようですが、分けるとすれば、次のようになるようです。

聖  歌;カトリック教会、東方正教会、
讃美 歌:プロテスタント諸派、日本基督教団

ー続くー





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